さよなら、かめりあ [つれづれ]
今日(2014/6/8)が、
かめりあ丸
のファイナルクルーズ、19:45竹芝着で引退となります。
僕が一番多く乗ったフェリー、初めて御蔵島に行った時は、”条件付き”といくアナウンスにドキドキして眠れなかった。
スルーされて島から帰れなかった事も何度か... どこにも下船せずに、八丈島を往復したことも....
夜中に、竹芝桟橋を出航してレインボーブリッジの下をくぐる時、マイルスを聞きながら飲むビールは最高に美味しかった。
さよなら、そして、
ありがとう!
鯨三兄弟 [つれづれ]
房総(仁右衛門島)の話のついでに...
道の駅『和田浦WA・O』に、全長26メートルの、
シロナガスクジラ
の全身骨格標本(レプリカ)が展示してあります。
この原型となった骨格は、ノルウェー北部で捕獲された雌のシロナガスクジラで、下関の『海響館』が、研究のためにノルウェーのトロムソ大学博物館から借り受けているものです。
3体までのレプリカの製作が許可されているそうで、1体は『海響館』が標本変換後の展示用に所有、もう1体は和歌山県太地町『くじら博物館』に展示、そして最後の1体がここに展示されることになったようです。
まるで、トン吉、チン平、カン太の三つ子三兄弟みたいですね。
こいつに会ったのは、これで3度目。
(くじら博物館)
初めて会ったのは2009年9月、和歌山太地町の
くじら博物館
(国立科学博物館)
2度目は、2010年の9月
国立科学博物館
の企画展示『海のなかまたち』。
そして、和田浦ので3度目のご対面となりました... こうなってくると、どうしても下関の
海響館
に原骨格を観に行きたくなってきます... 幸いなことに、借用期間が2018年まで延長されたようなので、それまでにはというか、近々行きたいぞ!
ちなみに、これは『国立科学博物館』の入り口にあるシロナガスクジラの模型、シロナガスクジラ以前はザトウクジラの模型、それ以前はナガスクジラの全身骨格標本が展示されていたようです。
これが、
道の駅『和田浦WA・O!』
鯨料理が食べられるレストランや土産物屋の他に、観光・地域情報発信ステーション『WA・O!アトリウム』があり、捕鯨の資料などを見ることができます。
ラジオゾンデと核兵器 [つれづれ]
ラジオゾンデ
ラジオゾンデについては過去に、海岸で拾った話や、小笠原、南大東島での打ち上げの話を書いているが、それらは気象観測用に打ち上げられたもの。
しかし、このラジオゾンデは長崎の原爆投下の時に使われたもの。
爆発の威力、爆圧や強度、熱度などを計測するため、落下傘をつけた3個のラジオゾンデが投下されたそうだ。
(長崎原爆史料館)
そのひとつが、
長崎原爆資料館
に展示されていた。
ここには、被爆の惨状を示す写真などの他、核開発の歴史などが体系的に展示されている。
(ファットマン)
長崎に投下された原爆はプルトニウム型で、その形から「ファットマン」と呼ばれており、その威力はTNT火薬換算で22kt相当の規模だったそうだ。
爆心地は史料館のすぐ近く、今は公園になっていて、
爆心地公園
と呼ばれている。
爆心地には黒御影のモニュメントが建ち、その横には浦上天主堂の遺構が立っていた。
街の中にも、当時の爆発のすさまじさを伝える跡が残されている。
これは、浦上天主堂のすぐ横の川に崩れ落ちた鐘楼。
(一本柱鳥居)
爆心地から約800メートルの地点にあった山王神社(さんのうじんじゃ)の鳥居は、その片方だけが残っていた。
神社の境内には、熱線により裸同然となりながら、今は豊かな緑を取り戻している、
被爆クスノキ
と呼ばれる楠の大木があった。
つい先日、国連総会の軍縮問題を扱う委員会で、核兵器不使用声明の発表に、日本が初めて参加した。
唯一の被爆国として遅すぎた決断.... 改めて、その重要さを認識させられた。
あまちゃん [つれづれ]
宮古島の海@2012
宮古島や伊良部島が舞台ということもあって毎朝観ていた
純と愛
なんか残念だったというか... そもそも朝の連ドラの規格に外れていたような... 朝から観るにはちょっと重過ぎたストーリー... 最終回も、なんだかねぇ~.... それでも、宮古島の風景には癒された。
来週(4月1日)から始まる、
あまちゃん
三陸の海を舞台に、ヒロインが祖母の後を追って海女になる姿を描く。
ポスターもいいし、”海”&”潜る”、とくれば、観ないわけにはいきません.. というか、連ドラフリークなのでどちらにしても観るのですが... :-)
今度は、朝の連ドラの王道を行くらしい... 朝から元気にしてくれる事でしょう。
棕櫚と戦艦武蔵 [つれづれ]
棕櫚(しゅろ)
どこにでもある、棕櫚(しゅろ)の木。
木の皮は、ほうきやロープに使われているが、最近は少なくなった。
『昭和十二年七月七日、盧溝橋に端を発した中国大陸の戦火は、 ... 初めに棕櫚(しゅろ)の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海の海苔養殖業者たちであった ... 意外にも漁具商には一筋の棕櫚繊維もないことが発見された。』
という書き出しで始まる、『吉村昭』の
戦艦武蔵
大日本帝国海軍が、戦艦大和の二番艦として建造した大型戦艦。
(長崎造船所)
この武蔵が造られたのが、長崎造船所だった。
武蔵の建造は極秘とされたため、船台の周囲には、棕櫚(しゅろ)縄を用いたすだれ状の目隠しが全面に張り巡らされたそうだ。棕櫚縄を作るために、全国から膨大な量の棕櫚を極秘に買い占めたため、市場での著しい欠乏と価格の高騰を招き、漁業業者が抗議し、警察が悪質な買い占め事件として捜査を行ったとされている。
上五島に渡る前日、この長崎造船所にある『史料館』を訪ねた。
三菱重工業(株) 長崎造船所 史料館
この赤煉瓦の建物は、1986年に造船所の鋳物工場併設の『木型場』として建設されたもので、
長崎造船所に現存する最も古いものだそうだ。
中に入ってすぐに目に入ったのが、またまた、岩崎弥太郎之像。
高島のと同じ鋳造?
この史料館には、長崎造船所の歴史、つまり日本の造船の歴史が詰まっている。
船好きにはたまらないところです。
そんな中に展示してあった、
支網切断用斧
極秘裏に行われた戦艦武蔵野の進水式で使われたもの。
その奥に、『吉村昭コーナー』があった。
戦艦武蔵を執筆した時のノートが展示してあり、自筆の取材メモを見る事ができる。
造船にはまったくの素人が、あれだけの細かな戦艦建造の描写を書くにあたって、緻密な取材をしたことが伺われる。吉村昭の小説のリアリティーはここからきているのだ。
愛用の万年筆やメガネも展示されていた。
ブログでも彼の小説を何度か紹介しているほどの、僕は吉村昭ファン。
史料館のホームページやパンフレットには、『吉村昭コーナー』のことが紹介されていなかったので、予期せぬ出会いに、思わず舞い上がってしまった。
長崎に行かれたとき、興味があればぜひ... お勧めです。
最近、散歩していると、やたらと棕櫚が目に付くようになった。