富士山測候所記念日 [晴潜雨読]
(冬)
今年の夏は空気が澄んでいるせいか、毎日のように富士山を見ることができ、夜には登山者の光の列が確認できる。
今週は、ヒュー・ジャックマンも登頂したようだ。
昔、富士山頂に気象レーダーがあったのだが、気象衛星と代替レーダーによって、1999年にその役目を終えた。
子供の頃に集めていた切手の中に、『富士山頂気象レーダー完成記念』の切手があった。
それには、このレーダードームが描かれていた。
この気象レーダーのプロジェクトを指揮したのが、当時気象庁に勤めていた、新田次郎。
後に、『富士山頂』という小説を書いた。
実際に富士山頂で気象観測をしていた彼の小説には、富士山を題材にしたものが多い。
『富士山頂』、『富士に死す』、『芙蓉の人』、『怒る富士』...
特に感動したのは、
芙蓉の人
正確な天気予報をするためには、富士山頂での気象観測が必要との信念で、私財を投じて富士山頂に観測所を作り、真冬の富士山頂にこもり、高山病や悪天候と戦いながら極地観測を成功させようとする”野中到”とその妻”千代子”の壮絶な戦いを描いた感動の物語。
この工事の完成を、中央気象台に連絡してきた日が、1895年(明治28年)の8月30日。
それを記念して、今日(8月30日)は、
富士山測候所記念日
だそうだ。
富士山を眺めるたびに、気象観測に情熱をかけた人達のことを想う。
孤愁(サウダーデ)と盆踊り [晴潜雨読]
(眉山から眺めた徳島市街)
徳島と言えば、『阿波踊り』。
学生時代、踊りの期間中は毎晩踊り狂っていた。
今日、『徳島の盆踊り・モラエスの日本随想記』を読んだ。
モラエスはポルトガル人で、晩年を徳島で終えた人。
この本には、当時(1913頃)の徳島の風景や市井の人々の様子が、彼の目を通して記録されている。
その中に、”阿波踊り”は”ぼん・おどり”、つまり死者の祭りの踊りであると書かれている。
ご先祖様をお迎えし、讃え、お送りするための儀式...
言われてみればそうなのだが、今まで一度も考えたことがなかった。
モラエスに興味を持った”新田次郎”は、『孤愁(サウダーデ)』で彼の生涯を書こうとしたが、絶筆となり未完に終わった。
何年か前、遺志を継いだ藤原正彦さんがポルトガルに渡り、父の足跡をたどる番組が放映されていた。
先日、徳島に帰省した時、眉山山頂にある『モラエス館』を訪れた。
ちょうど同じ日、藤原正彦さんが徳島で取材をしており、「年内にも執筆を始める」と関係者に語っていた。
やっと、機が熟したようだ。
来年には続きを読むことができるかも?
旅する力とは? -Midnight Express - [晴潜雨読]
幸いなことに、「深夜特急」に出会ったのは、30歳を過ぎてから。
「深夜特急」な旅ができる適齢期をとうに過ぎていた。
もし、20代でこの本に出会っていたら、人生が変わっていたと思う。
「深夜特急」に憧れ、旅立った人も多いはず。
この本は、旅のおもしろさと本質を教えてくれたような気がする。
先日、「旅する力(深夜特急ノート)」を読んだ。
沢木耕太郎が、この旅に出る動機や、その後のエピソードが書かれている。
ドラマ化(大沢たかお主演)された時の逸話や、「猿岩石」に対する辛口なコメントも興味深い。
「旅する力」とは、その人の人生観の表れ。
そんなことを感じさせられる一冊だった。
羆撃ち - 大草原の少女みゆきちゃん - [晴潜雨読]
先日、TBSの視聴率が低下しているという記事を見かけた。
そんなTBSで、20年以上前に放映された「大草原の少女みゆきちゃん」。
北海道の知床を舞台に、厳しい大自然の中でたくましく生きる少女のドキュメンタリー。
6歳の少女が、学校までの往復8kmの山道を毎日一人で通う姿に感動した。
先日、「羆撃ち」という本を読んだ。
”あとがき”で、これを著したのが「みゆきちゃん」のお父さんだったことを知った。
やはり、この親にしてこの子ありだった。
初著とは思えない、生き生きとした表現力。
プロの猟師として、自然や生き物に立ち向かう姿が謙虚で美しい。
命をいただくことの大切さを改めて考えさせられる一冊でもあった。
点と点が繋がった瞬間 [晴潜雨読]
昨日読んだ、「最後の冒険家」。
これも、北村浩子さんのBooks A to Z で紹介された本。
手に取った時、裏表紙のヤギの写真がなんとなく気になっていた。
熱気球で太平洋横断(日本からアメリカへ)に挑戦した「神田道夫」さんの冒険の記録だ。
2004年、第1回目の挑戦は、太平洋に不時着し奇跡的に助かる。
著者の石川さんは、その時のパートナー。
2008年の1月、2回目の挑戦で、神田さんは帰らぬ人となった。
2008年の8月、1回目の挑戦で二人が乗っていたゴンドラが、トカラ列島の悪石島に打ちあがった。
先日の日食で、一躍有名になった島だ。
ゴンドラが、太平洋で放棄されたのは4年前。
太平洋を還流する潮によって、4年も漂流していたことになる。
奇跡的な漂流物だ!
連絡を受けた著者が、確認のために悪石島に出向いたのが、2008年8月9日。
偶然にも、その日、私は同じフェリーに乗っていた。
悪石島が見えた時、彼と一緒にゴンドラが打ち上げられた浜を見ていたことになる。
島旅で乗った船、奇跡的に打ちあがった漂流物、薦められて読んだ本。
全く関係ない点と点が繋がった瞬間、鳥肌が立った。
最近、こんな経験をよくするようになった。
歳をとったせいかもしれない...