風立ちぬ いざ徳之島 沖永良部島、徳之島の旅(12) [島旅]
徳之島空港のすぐ近く、北に向かってまっすぐ延びている広い道路がある。
浅間陸軍飛行場(滑走路)跡
完成当時(昭和19年)は、長さ1500m、幅60mの滑走路で、掩体豪、補助滑走路、誘導路などがあったそうだ。
説明には、『昭和20年3月下旬から沖縄上陸を狙う米軍の空襲が日増しに激しさをましてくる中で、攻撃の前線基地を鹿児島の万世基地から浅間陸軍飛行場に移すことになる。当時の浅間基地の戦力は、一般機21機・特攻機10機という記録が残っている....』と、書かれていた。
以前、喜界島の島旅ブログにも書いたが、九州から出撃した特攻機や攻撃機の中には、徳之島や喜界島を中継地として、沖縄を目指したものもあった。 そんな喜界島や徳之島は、軍の施設である飛行場があったため、多大な空襲の被害を受けたそうだ。
今年は、零戦をテーマにした『風立ちぬ』が大ヒットし、12月にはベストセラーになった『永遠の0』の映画も公開される。(宮崎は、永遠の0を猛批判しているが....)
この滑走路跡の向うに広がる南の青い空を眺めていると、ここを片道切符で飛び立っていった若者達がいたことが、どうしても想像できなかった。
今年は、徳之島を含めた奄美群島が日本に復帰して60周年... 想像を阻むだけの平和な時間が流れたんですね。
続く....
~☆ 島酔潜人さんへ ☆~
こういう島にも戦争に関わる
出来事があるんですね。
by 異邦人 (2013-09-28 19:57)
>>異邦人-san
あまり知られていないですが、南の小さな島にも戦争の傷跡が残っているんですよね。
by 島酔潜人 (2013-09-28 23:13)
島酔さん、こんばんは。
特攻隊はみんな、美しい地から飛び立っていきましたね。
切なさがつのります。
今年は奄美復帰60周年だったんですね。
復帰は12月25日のクリスマスだったと思いますが、
米軍は「クリスマスプレゼント」だと言ったとか。
感情的になってしまうけど、腹立たしい限り…。
by momomo (2013-09-29 01:02)
>>momomo-san
奄美群島日本復帰運動の指導者で、”復帰の父”と呼ばれた、泉芳朗さんは徳之島伊仙町出身の方でしたね。
また、トカラ列島(現十島村)は、奄美より一年早く日本に復帰したため、振興開発の特別措置法が適用されなかったそうです。
by 島酔潜人 (2013-09-29 10:14)
永遠の0で知らなかったことが次々に出てきてゾクゾクしました。
本を読んだ後、知覧に行って資料を見たときはもう言葉も出ませんでした。
10/26、吐噶喇列島マラソンに出ますので、また現地の方々と再会できることを期待しています。
by ○ (2013-09-30 23:00)
>>〇-san
『永遠の0』に出てきた、坂井三郎さんの『大空のサムライ』も、読むと感動しますよ。
トカラマラソンがんばってください.. また、連絡しておきます。
by 島酔潜人 (2013-10-01 00:42)