艀(はしけ) 小宝島 [島旅]
湯泊港
その昔、小宝島には定期船が接岸できるような大きな港が無く、船を沖合いに停泊させ、艀(はしけ)を使って人の乗降や荷物の積み下ろしが行われていたそうだ。
当時、小宝島には5つの港があり、メインに使われていたのがこの湯泊港。
温泉のすぐ横にあるが、言われなければ港とは気づかないような小さな入り江。
シュノーケリングには絶好のエントリーポイント。
荒波の中で本船からはしけに飛び移らなければならない危険な通船作業は、定期船が接岸できる港が整備される平成2年(1990年)まで続けられていた。
この2艇は、その時まで使用されていた艀(はしけ)、
小宝(しょうほう)丸
日本の定期航路では、最後の艀だそうだ。
当時の様子。(案内版より)
それより前、昭和40年(1965年)まで使われていた手漕ぎの艀も保存されている。
その当時の様子。(案内版より)
大岩屋という平家の落人が隠れ住んだと伝えられている洞窟に艀は保存してあった。
続く..
島酔さん、こんばんは。
艀は当たり前の光景だったのでしょうね。
ヨロンで聞いた話では、
夜に艀で陸地に上がっても真っ暗で歩けないので、
住民も旅行者も砂浜に上げた艀の中や陰で寝て、
朝になってから家や宿に向かったそうです。
島の人たちの苦労が偲ばれます。
by momomo (2012-09-07 00:58)
>>momomo-san
艀の時代は、ほんとうに大変だったでしょうね。
与論の話は、南の暖かい島だからの情景ですね。
by 島酔潜人 (2012-09-07 09:45)
~☆ 島酔潜人さんへ ☆~
平家の歴史もここでは学べそうですね。
艀についても当時の様子が良く分かりますね。
当時はわざと艀を使用し、港をつくらなかったのでしょうか。
何か訳ありそうですね。
by 異邦人 (2012-09-07 14:33)
>>異邦人-san
小さな自治体なので、昔は、港を作るだけの予算が無かったのだと思います。
昭和28年に制定された離島振興法、その後の離島航路整備法による助成によって、港湾が整備されてきたのだと思います。
by 島酔潜人 (2012-09-07 15:52)