史跡めぐりも楽しい 沖永良部島、徳之島の旅(3) [島旅]
(後蘭孫八の城跡)
いきなり、那覇港から沖永良部島の話に飛びます。
沖永良部島のことは、過去に何度か書いているので..... 今回は”史跡”とか...
これは、沖永良部島唯一大規模な、
後蘭孫八の城跡
後蘭孫八は、約600年前の豪族の一人。琉球式の城を造り、船をしたてて他の島々と交易を行うほどの勢力を持っていたそうだ。一説には平家の子孫であるとも言われています。
ガジュマルの杜に同化したこの城跡の散策は、ちょっと不思議な空間に迷い込んだようで、探検気分が味わえます。
世之主(よのぬし)の墓
沖永良部島が与論島とともに琉球の北山王朝の支配下にあった時代の、世之主(島主)とその家族の墓。サンゴ礁で造られた琉球様式。
新城花窪ニャート墓
沖永良部の代官として赴任し、座横目として再来島した鹿児島の城下士、遠矢金兵衛が妻子のために造ったものだと言われています。
屋者琉球式墳墓
世之主の四天王の一人、屋者真三郎(マサバル)の墓だと言い伝えられている。石灰岩をくり抜いて造ったトゥール墓。これは、亀甲墓よりも古い形式だそうです。
アーニマガヤトゥール墓
南方を向いた斜面に石灰岩をくり抜いて造られ、玄室内部には三方に棚段が造られ全面部分は前に突き出ており、沖縄の亀甲型墓の入り口に似た造りが特徴的だそうです。
屋子母セージマ古墳跡
自然石灰岩をくり抜いて造られた琉球式墳墓。沖永良部の風習がトゥール墓から日本式の墓に変わっていく途中を知る資料として学問的に重要な場所らしい... とのことだったが、草がぼうぼうで、よくわからなかった。
あまり整備されていないものもありましたが、沖永良部島には”ハブ”がいないので、安心してこれらの史跡を回ることができます。 また、もっと古い縄文時代後期の遺跡なども発見されています。
近年、奄美諸島では、徳之島の『カムィヤキ陶器窯跡』や、喜界島の『城久遺跡群』など、考古学、歴史学上、重大な発見がなされています。
海上の道にあり、いろいろな文化が行き交ったこれらの琉球弧の島々では、まだまだ新しい発見があることででしょう... ワクワクします。
~☆ 島酔潜人さんへ ☆~
楽しい史跡めぐりですね。
なんか日本本土ととは違う異文化を見ているようですね。
それだけ異国との交流が多かったんでしょうね。
by 異邦人 (2013-08-07 21:54)
>>異邦人-san
奄美諸島は、ヤマトと琉球の文化の境界があるわけではなく、いろいろな文化が時代ともに入り混じった『ぼかし』の文化圏が形成されていて、とても興味深いものがあります。
by 島酔潜人 (2013-08-08 09:49)
後蘭孫八城に行かれたようですね。
グスクの入り口にかつて住んでいた平家の牛小屋の石積みの跡や
風呂の跡などがありますね。
後蘭孫八城の本丸は2~3m低い平場になっていて、
今までに例のない造りになっているのが特徴ですね。
世の主城跡の頂部に世の主神社が建ってたでしょ。
by ピースオレンジ (2013-08-08 16:31)
>>ピースオレンジ-san
後蘭孫八の城跡は、とても興味深いものでした... 本丸の窪地は竹林になっていました。
世之主神社は行ってません.. 今度行ってみます。
by 島酔潜人 (2013-08-08 23:34)
島酔さん、こんばんは。
いきなり沖永良部に飛んだ…(笑)。
ハブはいないとわかっていても、
これだけ鬱蒼としているついビビってしまいそう。
遺跡発掘をしている人に聞いたら、
奄美群島はけっこう掘りがいのある場所らしいです。
by momomo (2013-08-10 01:24)
>>momomo-an
これ、ハブがいると、絶対近づけませんね。
まだまだ新しい発見があり、奄美諸島は、考古学的にこれから楽しみな地域だと思います。
by 島酔潜人 (2013-08-10 10:45)